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横浜マラソンの思い出④/D突堤~ゴール、その後。 [横浜マラソン2015]

今更 スミマセン[あせあせ(飛び散る汗)]
ずっとそのままにしていた思い出を整理して
新しいシーズンを迎えるために。
_____

横浜マラソンの思い出 最終回
高速道路を下りた~D突堤~ゴールとその後です。

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これがD突堤の先にある横浜シンボルタワー。マラソン中は見れませんでした。


D突堤へと向かう道は、帰ってくるランナーとすれ違う。戻ってくるラン×スマの田村亮さんに会えた。一緒に走ってたのになぁ、随分遅れちゃった。

なんとなく、折り返し地点まですぐに着くような気がしていたのに、行けども行けども道が終わらない。そして、ここもギリギリ制限時間で完走を目指す私には、関門閉鎖の危機を迎える怖い地点であった。

「閉鎖まであと○分」との声が気になるようになる。たくさんの応援団に励まされ、少しずつでも前に足を出す。

ようやく自分は第9関門を通過できて折り返し、賑やかな応援団に励まされて道を進んだ。

反対側の道には、関門閉鎖を目前にして今にも泣き出しそうなランナーがまだまだいて、その後方から最後尾の車両と回収車が迫っていた。「頑張れ」と、声は出せなかったが心の中で叫んだ。自分もそうなるに近い状況を目の当たりにして胸が詰まって声が出ないのと、頑張れという言葉が合っているのかもわからないから発せられない。タイタニックのローズがジャックと旦那を置いて救助船に乗って下りていく―幸運を祈る、だろうか。

その後は、ゴールのみなとみらいを目指すだけだが、その間、応援の声、寒いのに裸くらいの凍りそうな衣装で頑張ってくれるダンサー、かわいいチアガール、沿道の人々の掲げるメッセージ、私設エイド、同じRun for kidsのTシャツのランナー、どの光景も胸にグサグサ刺さっていた。

山下公園前はよりいっそう応援が大きくなり、応じる力は残っていなかったが嬉しく、マリンタワー前のRun for kidsの大応援団には最後の力を振り絞ってハイタッチに行った。あと少しで私の横浜マラソンは終わる。横を走っていた男性ランナーが泣いていた。

コスモクロックを見ると、
頑張ればもしかして5時間台で入れるかも!
いくらか早足にする。

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(ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルと桜。 後日撮影)

臨港パークに向かう道に入ると、ここでもまだ待っていてくれるRun for kidsの皆さんの大声援を受けて、ゴールまで運んでもらえた。メダルをもらえる方に進んでいくところでは、Run for kidsの代表の先生が最後の一人まで待っていてくれる体制で迎えてくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。グロスタイムで5時間台ぎりぎり、ネットタイムでは5時間39分~秒という記録だった。
ゴールしたら感動で泣くかなと思っていたが、体はボロボロで頭はボーッとして、会う人会う人にお礼を言いたくて言うだけだった。

欲しかった欲しかったメダルを受け取り、
欲しかった欲しかったタオルを受け取った。
くれる人がタキシードを着たイケメンに見えたが幻だったのかよくわからない。

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ゴールした旨を電話すると、臨港パークの奥の方に家族が来てくれているそうで、荷物を受け取ったあとに向かわないといけない状況になる。
歩けないのに・・・嘘だろ
と思いながら、応援してくれた家族と再会を果たし、お互いの頑張りを讃え合い、写真を撮ったり話したりしながらパシフィコの建物前まで一緒に来て笑顔で別れた。

着替え場所へ。ファンケルの美白美容液をもらえた。もう着替えている人もまばらで、隅っこでバナナとヨーグルトドリンクをむさぼり、ストレッチしながら、スポーツブラとタイツがきつくて脱げず、うめきながら着替えていると、
「あと10分で会場閉鎖」
ここにも関門があったか。
ボランティアの方々のお仕事早く終わらせてあげないとね。

みなとみらい駅に向かう。
クイーンズスクエア横浜の建物内の少しの下り階段で
多くの走り終わったランナーが
「階段を下りられない!」と
後ろ向きに這っていたり、すごい状況になっていたが、自分も例にもれなかった。

この後 中華街で打ち上げ。
ちょっと時間があるので元町・中華街駅で降りたあと、スタバへ入った。
3日ほど絶っていたコーヒーを飲みたくて仕方なかったので。

熱い あっつぅ・・・
反射的に紙コップを握りつぶす癖が 。ランナーズあるある笑
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これのもっとぐちゃ!って感じだった。


打ち上げ会場では
午前中に走り終わっているような人たちと混ざり、
みんな今まで何して時間つぶしてたんだろうと思いながら、
ビール飲んでる横でお茶を飲み、
マラソンの後ってみんな何食べるんだろうと気にしながら
炒め物とか好きな物食べてる横で胃に優しそうな部分を恐る恐る食べる。
ひょいひょい歩いて飲み物を自分で取ってくるし、
同じ「マラソン走った後」でもこんなに違うのが、
初心者とベテランの差なんだなぁ。
けど、私も気持ちは元気。這ってでも来て良かった。
会いたかった方々とマラソンの話だけで盛り上がる、普段とは異なる状況。
年齢も 職業も 家族も 立場も 何も関係ない、
ただ走ることだけが一致する仲間。
走ってて良かった。

当日朝の桜木町
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パシフィコへ向かう道
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とてつもなくたくさんの皆さんに支えられ、
今日を終えることができる。
本当にありがとう。

翌日は
走らない近所の友達も
インターネットやテレビで状況を調べながら応援してくれて、本人よりもレース状況を把握してくれてたり、
走らないのに 今の感動を話してと、ランチに呼び出してくれて、マラソンの話をさせてくれた。
ありがとう。



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娘からもらった。

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RUN IN YOKOHAMA,CHANGE YOUR WORLD
(大会キャッチコピー)


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横浜マラソンの思い出③/もうすぐ南部市場~高速道路 [横浜マラソン2015]

前からの続き、16km地点磯子辺りから。

太もも前とふくらはぎの強烈な痛みとだるさに襲われ、何度も止まりガードレー
ルにつかまってストレッチをする。ちょっと伸ばすと楽になるような気がした?
いや、そうでもない。あんまり変わらない。次の給水所を楽しみにする。バーテ
ンダー給水がそろそろだよな。と・こ・ろ・がーーー!!!片付けてる。ショッ
ク。終わっちゃったんだぁ、残念。

歩道の人々の中に、娘がいないか探す。目が疲れる。頭の中がグルグルしてきた。探すの辛い。杉田のどこにいるんだー。あれほどRun for Kidsの応援団と一緒にいてと頼んだのに言ってる意味がわかってもらえない。イライラ。

この道路は、一人で練習に何度も走って馴染みがあった。バス停の名前も覚えた。
あといくつで南部市場~ふー
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やっと市場の敷地に入ると、「奥にイチゴがあるよー」と応援されて、それを励みに進む。イチゴ、イチゴ。
「今 無くなっちゃたのよ ごめんなさいね」
ガーン。
ここでもラッキー給食にありつけなかった。もっと早く来なくちゃダメなんだ。

よーし、折り返し。夢だった高速道路走行はできそうだ。

もうすぐ高速道路入口というところで、家族発見。あー良かったです。Suicaを娘に渡す。モヤモヤも吹っ飛びました。頑張ります。応援ありがとうございます。気をつけて帰ってね。少し前に田村亮さんが通過したそうです。


高速道路!
大きくパワーチャージができて、嬉しい高速道路の上り坂、ここは無理せず歩いて上ることにしている。ゲート通過。ハレて高速道路に乗ることができて、とても嬉しい。
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写真:オールスポーツコミュニティ

以前から言われていた「高速道路は地面が硬い」という心配は、マラソン完走が目標のレベルの者が履く厚みのある靴底では、地面の硬さの違いなどわからず、問題なかった。

遠くの緩やかな上り坂はランナーで埋め尽くされ、色が鮮やか。キレイ。
マジック(手品)給水では、「えーっ!どうなってるの?!」と立ち止まって見入ってしまった。苦しみを紛らわせてくれて感謝。

昨日、給水場の応援団に注目したテレビ番組があり、そこに出ていた方々の生パフォーマンスを見れて、「昨日テレビ見たよー」と声かけさせてもらったら笑ってくれて嬉しかった。

高速道路はアップダウンが激しいとは聞いていたけれど、既に太ももとふくらはぎが破裂しそうな足では、上りだろうが下りだろうが辛さしか感じなくなっていた。左右に傾斜がある道路で、前に進む力が無くなった私は、低い方に引っ張られて斜めに進んで行ってしまい、歩いて修正するようだった。トリックハウスの壁沿いを横腹を擦って移動するみたいな。ここは先々いろいろな攻略法を見つけ出す楽しみができた。

練習で走ることができた最長距離の26kmの看板を越えられた時は嬉しく、その後は1km毎に記録を更新していくのに感動しながら進んでいた。
給水のたびに太ももとふくらはぎに水をかけて冷やし、靴には水がかからないように気をつけた。
ラッキー給食に1つだけありつけた。
ウィッシュボンのグラノラバーだ。嬉しかった~。

給水場がたくさんあるので、とても心の支えになった。もうちょっとだから頑張ろうと、短い間隔で励ましてもらえて。

今思えば、痛いふくらはぎをストレッチして良かったのか、度々止まって筋を伸ばしていた。ストレッチした直後は気持ち良いが、どうやらここまで傷んだ状態ではやっちゃいけなかったよう。

給水場の応援がないところでは、誰も声を発することなくただ走る音だけがする。
ようやくみなとみらいの街並みが見えてきて、あそこまで行くんだな、あと、たったの皇居2周だ!と自分を奮い立たせた。

夢のような高速道路が終わり、一般道へ下っていく時、D突堤帰りでゴールへ向かうランナーの流れを右に見て、私ももうすぐだからと、気持ちは少しも途切れなかった。

この先、D突堤~ゴールまでの様子は
次回へ続きます。




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横浜マラソンの思い出②/スタートから16km地点(磯子付近)まで&関門通過予定表 [横浜マラソン2015]

前回は 横浜マラソンのスタートまでのことを書いたので
今日はその続きです。

スタートの列を水の流れに乗るように進んでいき、剛力さんや市長さんたちが見送ってくれる華やかなスタートゲートを過ぎると、流れが一気に加速した。
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↑(普段の みなとみらい大橋。懐かしいなぁ。)


周りの進み具合が自分の走力より速いのだが、さらにもっと速く行けそうな気がした。気持ちがとても高ぶっている。こんなワクワク感は人生の中でもそんなに数多く得られるものではないだろう。そんな状態も、楽しみにしてきた横浜マラソンのスタートに立てた喜びが爆発している自分には当然のもので、心地良く酔ったようにはしゃいでいた。ビルや歩道橋からもカメラを向けられ沿道の応援もたくさんいらっしゃって、そのすべてに反応し手を振って走った。

しかしここまでの話は、なんとまだスタートの直線のこと。先は果てしなく長いのに・・・。
> > > >

> > > 横浜市場への緩い下り坂やみなとみらいへの上り坂を、自分と同じ
Run for Kidsの黄色いTシャツを着たランナーを見つけては、
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「ランまるさん頑張りましょう!」
と叫んで追い抜き、NHKラン×スマの田村亮さんと撮影クルーの方を見つけて後ろをしばらくついて行く。

赤レンガ倉庫を過ぎると給水だ。すごいコップの数!大応援団!大興奮。ありがとうございます。それからしばらく沿道の応援は途切れることなく、マリンタワーの前の
Run for Kids の大応援団に圧倒、みんなにハイタッチして、超はじけて ありがとうを伝えた。

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↑(もっと暖かくなってからの横浜公園です)
> > >

山下から本牧への区間は今までと様子が一転して、沿道の応援の方がほとんどいない。走る足音と服の擦れる音と息づかいしか聞こえない静寂の中に、ぎっしりランナーが繋がっている。
> >
普段ここは大きなトレーラーやタンクローリー、ミキサー車などがたくさん行き交い、歩行者はほとんどいない道だ。その車道をランナーが埋め尽くし、車の音が無い。不思議な空間だ。今日この沿道のガソリンスタンドは営業ができないし、流通も止まる。それでも横浜マラソンに協力してくれている。たくさんの力をいただいて私たちは走ることができる。なんという偉業。感謝でいっぱいだ。
> >
> >
高速道路の下の道に入るとまた気持ちが切り替わる。和太鼓の応援が静寂を打ち破り、気持ちが高ぶってくる。さらに進むと「頑張って!」というかわいい声援が頭上から聞こえ、ゴーッと轟くおじさんたちの「おー」と驚くたくさんの声と、上の高速道路から顔を出している男の子にビックリ!「危ないよ~」と思わずおばさん叫んじゃったよ。応援してくれてありがとう。
>
> 根岸にはRun for Kidsの大応援団が待っていてくれると思い、楽しみに走っていき、大声援を受け、パワーチャージ。家族もこの辺りに応援に来てくれている予定だったので、歩道の人々の中から家族を探しながら走った。それが酷く疲れることだと後に知ることになる。


本牧辺りからトイレの混み具合を気にしてきたが、15km地点ニトリの前のトイレが比較的空いていたので並んだ。ストレッチをしたり家族に電話をかける。家族とは杉田の往路か高速手前で会えそうだった。トイレは和式で太もも前が引っ張られた。


トイレのロスタイム17分。再スタート。もう田村亮さんも5時間のタイムキーパーさんもいない。気にしていた根岸の関門は通過できた。

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さて ここで 関門通過予定表の登場です。
~1km8分で完走を目指す~
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↑(事前に計算しておいた関門通過予定。根岸のプールセンターの関門はゆっくりランナーの私には厳しい。)
(スタートまでに30分かかるだろうと言われていた。しかし、1km8分ペースで走る予定でいる私にとっては、8:49までにスタートしなければ 第4関門・根岸で早々に関門に引っかかる計算だ。)
(第4関門・根岸 10:47の関門をどうしても突破せよ!)
(第7関門・首都高56.1kpまで も 油断するな)
(第11~12関門・山下から赤レンガも時間短いので注意)

(というふうに、目標というか予定を立てていました。)
================

あとは
娘にSuicaを渡し(今日の電車移動はSuica必須なのに、娘のSuica私のカバンに入ってるじゃん・ウエストポーチを占領しているSuicaを早く渡してしまいたいのだ・なんか余裕だね、娘を気にして走ってるなんて)、
南部市場を通過し、
高速道路に入れれば本望だ。


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いつも練習で走り慣れている高速道路下、あと数kmで折り返す。ところが、走り始めて間もなく、
突然両足とも太もも前とふくらはぎが強烈な筋肉痛のようになり、だるいというのか重いというのか、動かなくなったのだ。

今までに最長で26km走れていた。走っている最中に足がこうなったことは一度もなかったし、途中で走れなくなるとしたらハンガーノック。だから水分栄養補給の対策しか準備がなかった。まだここ16kmだよ。えー!

> 失速。

後から考えれば、早々に失速する原因はいくつもあったので、反省しこれから練習と経験を積み、無知な初マラソンの初々しい思い出として生涯忘れない宝物を得たのだが、

・・・残りどれだけあるのよ、話は次に続く。゚(゚´Д`゚)゚。。


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横浜マラソン2015の思い出①/初フルマラソン完走しました [横浜マラソン2015]

報告が大変遅くなりました。
2015年3月15日
横浜マラソン2015に出走し完走いたしました!
↓完走タオルと完走メダルです。↓
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[三日月]ハーフマラソンも走ったことなく初フル挑戦となりました。気が向いた時だけ走る、上達しないランナー歴4年で、体調管理もひどいものでした。2014年秋から横浜マラソンに向けて本気で頑張り始めたものの、ちょっと走れるようになると調子に乗ってやり過ぎて怪我をして、安静にしていて元に戻ってしまうこと3回は繰り返しました。最後の1ヶ月半は、怪我をしないでスタートラインに立つことを最優先に、走る練習を減らしました。走りたいけど走らない、精神的には不安で辛かったです。

[半月]3月13日~14日、ランナー受付 パシフィコ横浜 横浜マラソンEXPO2015

桜木町駅前からパシフィコ横浜までの道、ボランティアの方々が立って案内してくれていて、道沿いは数えきれないほどの横浜マラソンの旗が飾られ、感動して涙が出そうなのをこらえるのが精一杯でした。
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受付でもおばちゃんたちに激励され、EXPOも楽しんで、いよいよだなと実感が湧いてきました。

[やや欠け月]3月15日横浜マラソン2015当日

当日は心配されていた雨天も最小限で済み、気温もランナーには丁度いい絶好のマラソン日和となりました。
私はこのTシャツを着ました。
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神奈川県立こども医療センターの RUN FOR KIDSという活動に賛同して、知り合いも増えました。
これを着て頑張ります。

会場に向かう朝6時の横浜市営地下鉄の地元駅ホームから、車内も桜木町も、みんな ランナーで埋め尽くされてました。クイーンズスクエア横浜のトイレはすでに行列。

荷物預け会場に入る時 行列になっていましたが、中に入るとスカスカでした。すぐに預けてから外に出て お水を飲み、 7時頃に着いた 大きな広場の仮設トイレは ガラガラでした。臨港パークに登って行ってみたり準備体操やストレッチなどしているうちに人が増えてきたので まだ1時間もあるけどスタートブロックFへ。もっと早く来ればブロックの中でも前の方になれるんだなぁと思いながら、こじんまりとストレッチしたり上を見たり。

剛力彩芽さんの開会宣言が聞こえて おーっというか ごーっというおじさんたちの轟く音にビックリ。他の人の声にはなんの反応もないのに。

しばらくして、スタートしたらしいけど、Fブロック びくともしないので 上空のヘリコプターを見てたりすると、遙か前方を左から右へ動く集団(C、D、Eブロック)が隙間から見えて、そろそろだなぁ と思う。
急に列が動き出し、もうその流れで歩いたり小走りになったり、ここで物を落としたり転んだら助からない バリっバリっと何かが粉々になっている スマホなんか落としたひにゃー もう流されるだけ~ 心の準備も何も・・・そごう横浜店の窓に貼られた激励メッセージや、横浜ベイクオーターの窓にいっぱいの人々の姿が見えてきたが、私はまだスタート地点がわからないまま流されている。でも、だんだん気分が
アガってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


ひとまず ここまで
横浜マラソン2015の思い出・続く。




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